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技術、読んだ本、いろいろ。

融けるデザイン

「融けるデザイン」を読了した。わかりやすく、これまで気づかなかったことに気づかせてくれる、とてもよい本だった。

周りの人たちが絶賛していて、気になっていたけど読んでいなかった。先日のUI Crunch #5の渡邊恵太さんのセッションがとてもよい内容で、イベント後にお話させていただいて、これは読まなくてはと思い購入した。

ちょっと前までWEB+DB PRESSで連載されていて、いまはWebから読むことができる。

印象に残ったところをつらつらと

今この本を読んでいる文字から目を少し離して自分の体がどのように環境と関わっているか見てほしい。環境がどこかで途切れているだろうか?あなたはまぎれもなく環境の中にいるし、知覚や身体は環境を能動的とか受動的とか考えずに利用しているし、利用されてもいる。この状態に気づくべきである。

融けるデザイン P.62

こんなふうに環境をとらえたことがなかった。本を読んでいるとき、本は本であり、椅子は椅子であり、机は机だと思っていた。でも環境という意味では、確かに繋がっていて、途切れていない。本を読むときのコンテキストを考える、というのともちょっと違う気がする。

なにも考えずに、椅子に座り、机に向かい、本を読んでいた。それが環境の中にいるという状態だったのかもしれない。

インターフェイスがなくなることはない。境界の場所が変わるだけである。モノや道具の利用は自己帰属をもたらし、インターフェイスの場所が変わる。ペンを持てばペン先までが身体になり、ペン先と紙で知覚行為=インタラクションが発生する。車を運転すれば、車全体が身体となり、車と外界で知覚行為が発生する。

そして、知覚と行為=インタラクションが生まれるところで体験は生まれる。自己へ帰属した新しい道具が世界の知覚を拡大し、そこに新しい「可能」を体験する。これが身体拡張の原理である。

融けるデザイン P.69

インターフェイスの場所を考えるというのは面白い。ペンのインターフェイスは、手とペンが触れ合うところではなくペン先になる。でもペン自体の重さやバランス、手とペンが触れ合うところの感触で、ペン自体の使いやすさも変わっていくる。

最終的なペンの使いやすさは、やっぱりペン先と紙との間で決まるのだろう。インタラクションが発生するのはペン先と紙の間で、それが体験になる。こういうことを、これまで考えたことはなかった。

面白いのは、私たちのその印象表現である。私たちはそれを「ひっかかり」として感じたり、もどかしさを感じたり、「重い」といった表現をする。一般的なディスプレイと一般的なマウスで、触覚的なフィードバック機構がないにもかかわらず、「触覚的な」感覚を体験する。

融けるデザイン P.118

この文章を読んでいて、最近のMacBookに搭載されているフォースタッチを思い出した。 マウスカーソルが思い通りに操作できないときに重いと感じる。マウスカーソルの情報は視覚的に得ているけど触覚的に感じる。これに対しフォースタッチでは、トラックパッドをクリックすると凹んでいないにも関わらず、触覚的なフィードバックによって押したような感覚を得られる。これからは触覚的なフィードバックによる新しい体験が増えていくのかもしれない。

ちなみにSafari9ではフォースタッチを取得するeventが追加されている。

Force Touch Trackpad Mouse Events

Safari’s new mouse event property, webkitForce, provides events and force information from Force Touch Trackpads. See Responding to Force Touch Events from JavaScript for an introduction to Force Touch Operations.

Safari 9.0

なにに使えるのかさっぱりわからないけど、これから面白い利用例がでてくるのかな。

なにより、自己帰属感は多くの道具屋機械で検討できる軸であるし、画面の中のいわゆるバーチャルと読んでいる対象の軸としても検討できる普遍性の高いものなのだ。私たちは時折「やっぱりアナログがいい」と言うことがあるが、こういったアナログの感覚の良さは自己帰属感にあるとも言える。自己帰属感というキーワードは、このように今まで説明がつきにくかった何かに触れた時に生まれる感覚や感触に新しい視点を提供し、考察の幅を広げてくれるのだ。

融けるデザイン P.200

この文章で自分の感じていたことが、とてもわかりやすく説明されていた。KindleiPhone電子書籍を読むことがあるけど、やっぱり紙の本が好きだった。電子書籍と紙の本で、自分は紙の本に対してより自己帰属感を持っていたのだと思う。

これは読書の仕方にも関連すると思う。同じ小説を繰り返し読んで、いくつかの本については、どのあたりになにが書いてあるのか、そこで使われている書体も覚えていたりする。こういった感覚は、紙の本ならではのものだし、そこから紙の本に対し自己帰属を感じていたのだと思う。

もちろん、そうではない本も多く、電子書籍のほうが読みやすい、使いやすいと感じることもあった。自己帰属感の高い読書や書籍を考えてみると、なかなか楽しい。これからはそういったことを意識しながら本を読んでみたい。

まとめ

本書のタイトルを見たときに、なにが「融ける」のだろうか、と思った。おそらく融けるのは境界か、境界の位置だと思う。境界とはインターフェイスそのもので、境界が変化し、新しく生まれる。本書では、それらをどうデザインするのかを考えるために「自己帰属感」というキーワードをベースにさまざまな事例や検証結果が解説されている。

本書で紹介されている事例は、書籍のサポートサイトにまとまっているし、渡邊さんのサイトではより多くの内容が紹介されている。

「融けるデザイン」では、言葉にしようとも考えたことのないけど確かに体験したことのある感覚が、とてもわかりやすく文章になっている。例えばこんな感じ。

自分の手足はいつもどうだろうか。制御できていると思っているのではないだろうか。しかし逆ではないだろうか。つまり制御できているからこそ、「自分の」手足ではないか、ということだ。そう捉えることができれば、投げたボールは、制御できる範囲で身体といえるのではないだろうか。

融けるデザイン P.91

文章からすっとイメージできた。文意を理解しやすいから、文章が自己に帰属している感覚を得られたのかも。

デザインと技術はどちらも重要だけど、技術によってなにかができるようになって、そのなにかをより洗練させるためにデザインが必要になる、ということがよくある。例えば、スマートフォンがなければレスポンシブ・ウェブ・デザインもなかったと思う。技術とデザイン、その繰り返しがずっと続いている。

より洗練されたデザインやインターフェイスを支えるために、エンジニアとしてなにができるのかを考えるのは楽しい。難しいけど。タイトルにデザインとあるけど、エンジニアこそ参考になる内容だと感じた。


融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論
渡邊恵太
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余談

内容と本文で使われている書体が合っている気がして、とても読みやすかった。たぶん筑紫明朝だと思う。書体のやわらかい感じと、「融ける」っていう言葉が合っている気がする。

ヘーゲルは<自己意識> というものを規定し、人間はただ単に自己と客体を離ればなれに認識するだけではなく、媒介としての客体に自己を投射することによって、行為的に、自己をより深く理解することができると考えたの。それが自己意識」

「ぜんぜんわからないな」

「それはつまり、今私があなたにやっていることだよ、ホシノちゃん。私にとっては私が自己で、ホシノちゃんが客体なんだ。ホシノちゃんにとってはもちろん逆だね。ホシノちゃんが自己で、私が客体。私たちはこうしてお互いに、自己と客体を交換し、投射しあって、自己意識を確立しているんだよ。行為的に。簡単に言えば」

海辺のカフカ

自己と客体の投射と交換。