誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論
「誰のためのデザイン?」を読了した。ずっと読もうと思って、ずっと読んでいなかった一冊。よい本だった。
ノンデザイナーズ・デザインブックも読んでよかった。それと同じような感覚。
ドア、電話、タイプライターなど、さまざまな例が挙げられ、気付いていなかったところに多くの配慮があったことを知った。ひとつひとつの形状の意味や、自分の認識の仕方を考えるきっかけになる。
本書のまとめと言ってもよい(と思う)、「第7章 ユーザ中心のデザイン」にはこんな文章があった。
まず、デザインは次のようでなくてはならない。
- いついかなるときにも、その時点でどんな行為をすることができるのかを簡単に分かるようにしておくこと。(制約を利用する)
- 対象を目に見えるようにすること。システムの概念モデルや、他にはどんな行為を行うことができるか、そして、行為の結果なども目に見えるようにすること。
- システムの現在の状態を評価しやすくしておくこと。
- 意図とその実現に必要な行為の対応関係、行為とその結果起こることとの対応関係、目に見える情報とシステムの状態の解釈の対応関係などにおいて、自然な対応づけを尊重し、それに従うこと。
こんな文章もあった。
難しい作業を単純なものにするための七つの原則
- 外界にある知識と頭の中にある知識の両者を利用する。
- 作業の構造を単純化する。
- 対象を目に見えるようにして、実行のへだたりと評価のへだたりに橋をかける。
- 対応づけを正しくする。
- 自然の制約や人工的な制約などの制約の力を活用する。
- エラーに備えたデザインをする。
- 以上のすべてがうまくいかないときには標準化をする。
本書で語られたデザインとはあんまり関係ないんだけど、これらを読んでプログラミングにおける設計について考えた。読みやすいコードを書き、わかりやすい単位に分割し、使いやすいAPIを考える、といったこと。
自分が普段使っているRubyという言語は、人間に優しい言語だと思う。
開発者のまつもとゆきひろは、「Rubyの言語仕様策定において最も重視しているのはストレスなくプログラミングを楽しむことである (enjoy programming)」と述べている。
これは「ユーザ中心のデザイン」による結果ではないだろうか。その対象が工業製品でもソフトウェアでもコードでも、ちゃんとデザインする、ちゃんと考えるって大事だよね。神は細部に宿り給う。
内側も外側も、よいデザインのプロダクトを作っていきたい。
誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)
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