35歳になった
人生の折り返し、後半が始まった。
中学生くらいのときに「回転木馬のデッド・ヒート」という短編集の「プールサイド」という作品を読んでから、35歳が人生の折り返しだと思って生きてきた。
「プールサイド」はこんな書き出しで始まる。
35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した。
いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。
この「彼」が35歳になったのは1983年3月26日のことで、いまでは68歳のはず。どんな人生になっているんだろう。
後半が始まるということは前半が終わったということで、35年間、いろいろあったなあと思ったりする。相変わらず長期展望はなく、瞬間の積み重ねで35年が過ぎたんだと感じる。「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」のあとがきを思い出す。
瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。SAFE でも SUITABLE でもない人生で、長期展望にどのような意味があるのでしょうか。
泳ぐのに、安全でも適切でもありません
十代はばたばたしていて、そのおかげで諦観のようなものをちょっとだけ身につけた気がする。たいていのことはなんとかなるし、どうにものならないこともある、みたいな。
二十代はSIerでいろいろ案件をやっていた。いまになって、このころの経験が活かせるようになってきた気がする。
三十代はいいこともわるいこともたくさんあった。アップダウンが激しかったけど、いいことのほうが多かった。
ちょくちょくふりかえっていて、というかふりかえりしか書いていなくて、もうちょっとアウトプットしなければと年初に誓ったのだが全然できていない。もうちょっと頑張らないと。
最近、これからの働き方がちょっと見えてきた。「組織をエンジニアリングする」という感じ。もうちょっと推敲が必要だけど。
DevOptsや、Infrastructure as Codeにちょっと近いイメージ。Infrastructure as Codeでは、ソフトウェア開発のプラクティスをインフラの構成管理などで利用している。
これまでエンジニアとして身につけた技術をベースに、組織、戦略、マネジメントなどに取り組んでいきたい。新しいプラットフォームと言語でプログラミングするように、組織に取り組みマネジメントする。そんな感じでやっていると、マネジメントしている感じがしなくなってきた。
例えば、毎日新しい問題が起きたりするけど、毎日障害が起きるシステムの安定化に取り組んでいるようなものに思える。問題を切り分けて、仮説、検証を行っていく。
これをもうちょっとパターン化したり、プラクティスのようにまとめていきたい。
「デザインと技術をつなぐ」ということを、これから数年掛けてやっていく。言語化したことで明確になり、これから取り組むことを徐々にイメージできるようになってきた。
エンジニアとしてのバックグラウンドを、デザインや組織といったエンジニアリング以外のところで活かしたい。うまくできるかわからないけど、やりきりたい。
34歳はけっこうたのしかった。この1年もたのしくなるといいな。