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技術、読んだ本、いろいろ。

夏の終わり

だいぶ涼しくなった。過ごしやすい。

文章や言葉についてよく考える。単純に仕事をしていて考える機会が増えたこともあるし、もともとこういうことをよく考える性質なのかもしれない。

「誰が言ったかではなく、何を言ったか」と「何を言ったのかではなく、誰が言ったか」。DeNAの南場さんはこんなふうに語っていて

「誰が言ったかではなく、何を言ったか」

Amazon.co.jp: 不格好経営―チームDeNAの挑戦: 南場 智子: 本

おとなの小論文の山田ズーニーさんはこんなふうに語っている。

メディア力とは、「何を言うかより、だれが言うか?」 自分の発言がとどく、影響力や信頼性だ。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

どっちもあるよね、と思う。南場さんの内容は多分仕事におけるコミューニケーションで、ズーニーさんの内容は身近な人々とのコミュニケーションだと思う。

友達や恋人や家族との付き合いは仕事じゃないし、その逆も同様だから、同じコミュニケーションの仕方ではうまくいかないのかもしれない。個人的には「誰が何を言ったより、どう伝わったか?」を考えたりする。

基本的にうまく伝わらなかったら、伝えた人(言った人)の責任だと思っている。そうじゃないこともあるけど、あくまで基本的行動指針として。相手に合わせて、説明の仕方や、言葉を変えて、伝える。うまくいかないことはもちろんある。実際にはそういうことのほうが多くて、スプートニクの恋人の一節を思い出す。

理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。

スプートニクの恋人 (講談社文庫) | 村上 春樹 | 本-通販 | Amazon.co.jp

ここ数年で、直接的な対話が増えたのか減ったのかよくわからないけど、テキストでのコミュニケーションは圧倒的に増えていると思う。

手紙、電報、email、Twitter、いまはLineやSlackがある。僕の場合はインターネットでアクセスする情報はテキストが圧倒的に多い。もちろん音楽や動画や画像が多い人もいると思う。日々たくさんのテキストを書き、それ以上にたくさんのテキストを読んでいる。

そこにはファストなテキストやスローなテキストがある。さらっと書かれたものや熟考の末に書かれた文章があり、それらをすっと読んだりじっくり読んだりする。

同じ文章を何度も読むタイプで、好きだから読んだり、理解できそうでできないから読んだり、理由はいろいろあったりよくわからなかったりするけど、気に入った、気になった文章は何度も読む。最近読む量が減ったなーと思っていたけど、ファストなものを読みすぎていてるだけかもしれない。

情報がテキストとして残っていると助かる。読むのが早いわけじゃないし、理解も早くないので、繰り返し読んでちょっとずつ理解する。理解できたからってなにかいいことがあるわけでもないんだけど、もうすこし効率よくできるいいのになぁ、と思う。

読んでいる文章は変わらなくて、変わるのは解釈かあるいは自分というのが面白くもあるし難しい。文章に惚れることが、だんだん少なくなってきた気もする。

ということを、いろいろな文章を読み返しながら考えた。

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