読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

console.blog(self);

技術、読んだ本、いろいろ。

夏の終わり

memo

台風が過ぎ去って、天気がよくて、とても暑い。

前回の瀬戸内国際芸術祭から3年が経って、また芸術祭の年になった。今年はすでに春と夏に行って、9月か11月にも行くつもり。

この文章がすきで、何度もかよっていると、いつかとてもよいものにふれることができる気がしちゃう。いつもそこそこいいけど、いつもすごいこともの出会えるわけじゃない。

まずまずの素晴らしいものを求めて何かにのめり込む人間はいない。九の外れがあっても、一の至高体験を求めて人間は何かに向かっていくんだ。そしてそれが世界を動かしていくんだ。

国境の南、太陽の西

意識しながら瞬間を重ねていくと、どこかで大きな変化が起きると思っている。今年は人生の折り返しに至ったし、いろいろな物事のターニングポイントになりそう。意識しているからこそ、ターニングポイントとなるのではないかと思う。あと3ヶ月くらいはこのまま進んで、その先ではしっかりと立ち止まって考えたい。ふりかえりではなく。

この3年間の変化は大きく、以前はできなかったことのいくつかはできるようになった。いろいろな変化があったし、最近もよい兆しがあった。瀬戸内に行くと景色が以前とは違ってみえる。次の芸術祭のころには、どんな景色がみえるのかちょっと楽しみ。

Macbook Air(11-inch, Mid 2011)の電池を換装した

memo

しばらく使っていなかったMacbook Air、気がついたら電池が膨張していた。 CPUはCore i7だし、メモリは4GBだし、SSDは256GBだし、まだまだ使えるので電池を換装してみた。勝手に交換すると保証外になるけど、そもそも保証期間切れてるし、あまり気にせず自分でやっちゃう。

まず型番を調べてみる。デスクトップ左上のリンゴマークから「このMacについて」を開く。

f:id:sadah:20160612160942p:plain

Macbook Air(11-inch, Mid 2011)」なのがわかる。システムレポートをひらいて、電源の情報を見る。充放電回数738回、けっこう使ってる。そして状態はいますぐ交換になっている。

f:id:sadah:20160612160958p:plain

Macの外観はこんな感じ。微妙に盛り上がってる。実際に触るとかなり違和感がある。トラックパッドが盛り上がっていて、クリックし辛い。

f:id:sadah:20160612093158j:plain

Amazonで「Macbook Air(11-inch, Mid 2011) 電池」とかで検索して適当に探す。ちょうどタイムセールやってた製品があったので、こちらを購入した。専用のドライバーもついてて助かる。

お急ぎ便で翌日に届いた。

f:id:sadah:20160612093328j:plain

中身はこんな感じ。

f:id:sadah:20160612093436j:plain

付属のドライバーでMacの裏蓋を開ける。盛り上がっててネジが固くてちょっと大変。ドライバーはいい感じの精度で、ネジ山をなめちゃうこともなく取り外せた。

膨張している。

f:id:sadah:20160612094656j:plain

かなりふくよか…。

f:id:sadah:20160612094639j:plain

バッテリーもはずす。コネクタはひっぱってもはずれなくて焦ったけど、上に持ち上げたらすぐ外れた。

f:id:sadah:20160612095503j:plain

ネジは裏蓋のところが10本、バッテリーに5本ある。サイズが微妙に違うので、どの位置のネジか気をつける必要がある。

f:id:sadah:20160612095544j:plain

外したのと同じ要領で元に戻す。Macを起動して電源の情報をみると、いい感じになっていた。

f:id:sadah:20160612162437p:plain

簡単だったし、数千円でまた使えるようになってうれしい。

35歳になった

memo

人生の折り返し、後半が始まった。

中学生くらいのときに「回転木馬のデッド・ヒート」という短編集の「プールサイド」という作品を読んでから、35歳が人生の折り返しだと思って生きてきた。

「プールサイド」はこんな書き出しで始まる。

35歳になった春、彼は自分が既に人生の折り返し点を曲がってしまったことを確認した。

いや、これは正確な表現ではない。正確に言うなら、35歳の春にして彼は人生の折りかえし点を曲がろうと決心した、ということになるだろう。

回転木馬のデッド・ヒート

この「彼」が35歳になったのは1983年3月26日のことで、いまでは68歳のはず。どんな人生になっているんだろう。

後半が始まるということは前半が終わったということで、35年間、いろいろあったなあと思ったりする。相変わらず長期展望はなく、瞬間の積み重ねで35年が過ぎたんだと感じる。「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」のあとがきを思い出す。

瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。SAFE でも SUITABLE でもない人生で、長期展望にどのような意味があるのでしょうか。

泳ぐのに、安全でも適切でもありません

十代はばたばたしていて、そのおかげで諦観のようなものをちょっとだけ身につけた気がする。たいていのことはなんとかなるし、どうにものならないこともある、みたいな。

二十代はSIerでいろいろ案件をやっていた。いまになって、このころの経験が活かせるようになってきた気がする。

三十代はいいこともわるいこともたくさんあった。アップダウンが激しかったけど、いいことのほうが多かった。

ちょくちょくふりかえっていて、というかふりかえりしか書いていなくて、もうちょっとアウトプットしなければと年初に誓ったのだが全然できていない。もうちょっと頑張らないと。


最近、これからの働き方がちょっと見えてきた。「組織をエンジニアリングする」という感じ。もうちょっと推敲が必要だけど。

DevOptsや、Infrastructure as Codeにちょっと近いイメージ。Infrastructure as Codeでは、ソフトウェア開発のプラクティスをインフラの構成管理などで利用している。

これまでエンジニアとして身につけた技術をベースに、組織、戦略、マネジメントなどに取り組んでいきたい。新しいプラットフォームと言語でプログラミングするように、組織に取り組みマネジメントする。そんな感じでやっていると、マネジメントしている感じがしなくなってきた。

例えば、毎日新しい問題が起きたりするけど、毎日障害が起きるシステムの安定化に取り組んでいるようなものに思える。問題を切り分けて、仮説、検証を行っていく。

これをもうちょっとパターン化したり、プラクティスのようにまとめていきたい。


「デザインと技術をつなぐ」ということを、これから数年掛けてやっていく。言語化したことで明確になり、これから取り組むことを徐々にイメージできるようになってきた。

エンジニアとしてのバックグラウンドを、デザインや組織といったエンジニアリング以外のところで活かしたい。うまくできるかわからないけど、やりきりたい。


34歳はけっこうたのしかった。この1年もたのしくなるといいな。